私たちについて
35年
私たちのはじまり
明治三十五年、初代須賀惣吉が栃木より上京、上野公園下にて料亭「鳥鍋」をはじめました。建物は、お風呂があり、滝が流れ、池があるというたいへん風情のある造りでした。当時は現代のような炊飯ジャーもなく、早朝より大釜で米を炊き、それが売り切れると閉店するというたいへん繁盛した店でした。また、松茸入りの親子丼をつくり 多くの話題も提供しました。
大正十二年の関東大震災で焼けましたが、栃木より大工が駆けつけ、すぐに建て直して再開。
しかし、昭和二十年の東京大空襲により焼失しました
6年
大正六年、現在の黒船亭の場所で
初代惣吉と二代目利雄が「カフェ菊屋」を始めました。
当時としては珍しい輸入のお酒とオードブル、ハヤシライスなどを揃えました。 一流のコックの料理が、エプロン姿の女性にサービスされるという、大変おしゃれな大正モダンの店でした。
6年
大正七年、中華料理店「翠松園」を開店しました。
12年
昭和十二年、池之端に本格的中華料理店
(当時は支那料理と呼ばれていました)
「雨月荘」を開店します。
まだ日本には本格的中華料理の店が少なく、中国まで料理長を探しに行きました。当時の中国では、本当においしい料理をつくるコックは個人の大家で働いているコックです。やっと探した一流の料理長を連れて帰り、本格的な味を追求したのです。
建物は、総ヒノキ造り三階建て。優美な日本庭園があり、和服の女性がサービスするお店で、当時日本の三大中華料理店の一つといわれました。また、和風建築の中に、オーチスのエレベーターがあるという.モダンなスタイルでもあり、店に敷かれた緞通(だんつう)は、中国から取り寄せたもの、天井や襖に使用した織物も龍村平蔵氏作の正倉院御物を模した織物でした。
お迎えしたお客様には皇族や、財界・政界の方々も多く、戦争中の昭和十九年、三島由紀夫氏の出版記念会を雨月荘の一室で開催したことは、後に有名なできごととなりました。
昭和二十年三月十日、東京大空襲で残念ながら、粋をこらした建物も全焼したのです。
44年
戦後、現在地で、二代目利雄が化粧品・雑貨の店を開店しました。
昭和四十四年十月、現在のビルを建設、一階に紳士用品、二階に婦人服の店「アダムスキクヤ」を.オープンしました。
当時のアパレル業界では、インポートされた洋服のクオリティーの高さとセンスの良さで、後に銀座和光とならび称されるほど有名な店となりました。さらに四階には黒船亭の前身となるステーキハウスとフランス料理の店「レストランキクヤ」を開店しました。
61年
昭和六十一年十月、三代目光一が四階の「レストランキクヤ」を「洋食 黒船亭」としてリニューアルオープンしました。
黒船亭の新しいロゴマークについて
2020年9月より、黒船亭のロゴデザインが新しくなりました。これまでの毛筆体に加え、黒船亭の頭文字「K」を象った新しいロゴマークが加わりました。この「K」は、我々が古くから用いている屋号「キクヤ」の頭文字でもあります。
また、この形は、菊の花弁と船の帆をイメージしてデザインされています。